悲しみに似た彼女の蒼
                  
                       氷高颯矢

当ても無く、ただ流れて行く。
独りに戻るだけだ。
元通り、旅を続ければ良い。
(できるだけ、離れなければ…)
とそれだけを思って彼は、船に乗った。
側に居れば傷つけるだけ、
平穏という日常には遠く、危険と隣り合わせの生活。
それは彼女には相応しくないと、
常々、思っていた事だった。
しかも、その危険を呼び寄せる原因が、
自分自身という事が判った現在(いま)、
彼の取り得る選択はただ一つ――。
「これが、俺の出した答えだ…」

カトレア王国、アストロア大陸の中で北方に位置する国である。
首都は"花の都"と呼ばれ、
国王・アスファルドは善政を行っていると評判である。
ただ、魔族に対して敏感、あるいは神経質に反応し、
排除しようとする動きがあるのも事実。
そこには悲しい歴史が隠されている…。
カトレア領の東に位置するペラルゴという地に、彼はふらりと現れた。
まるで、何かに誘われる様に…。
ペラルゴは、緑に囲まれた長閑なところであった。
港町から近い位置にあるのに、何故か商業が盛んではない。
街道が通って無ければ、外からの人間が立ち寄るような事もないだろう。
田園風景が続き、花が至る所に咲いている。
「すまないが、このあたりで宿屋はどこにあるか教えてくれないか?」
彼が声をかけた相手は、あまり農夫らしくない中年の男だった。
「宿…?あぁ、旅の方…」
「そうだ」
「それなら…少し手伝ってくださいますか?
 その代わり、宿なら我が家に招待しますよ?」
「…ああ。有難く、そうさせてもらう」
男は花を育てているようで、先程から種を撒いていた。
「これはカモミール。それから、チコリも。
 あちらにチコリを撒いていただけますか?」
「…わかった」
彼は、黙々と種を撒いた。
それを見て、男は微かな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。それでは、我が家へ案内しましょう…」
男に導かれるままに付いて行くと、
そこは領主の城といった構えの大きな邸宅だった。
「…言い忘れていました。
 私はこのペラルゴの領主で、名をディル=アキレアと申します。
 ようこそ、我が家へ…」
領主の男・ディルは、彼を招き入れた。
「俺はリュート。リュート=グレイだ…」
「リュート=グレイ?!」
サッとディルの顔色が変わる。
「俺の名前が、何か?」
怪訝そうにリュートはディルの方を見た。
「いえ…そんな名前、よくある名前ですよね。
 取り乱してしまって申し訳ない。
 知人と同じ名前だったんだ。気にしないでくれ…」
そこに、正面の階段を降りてくる音がした。
「お帰りなさいませ、お養父様!」
少女の声がして、そちらに目を向けると、リュートはその目を疑った。
(ティリス?!そんな訳…)
「お客様?」
「そうだ、リュートくんといって、今晩、家に泊まる事になった」
少女の髪は、蒼。少し色が暗い。
彼女と見間違うのも仕方のない事だった。
青色の髪は突然変異で生まれ、めったにお目にかかる事は無いからだ。
「挨拶をさせてもらってもよろしいですか?」
「そうだね、ティア…」
(――ティア?!…まさか!)
「私は、ティアナ=アキレアと申します。
 ごゆっくり、おくつろぎになってくださいね?」
ふわりと微笑って礼をする。
派手ではないが整った顔立ちで、育ちの良さからか、どことなく品がある。
リュートのよく知る少女なら、こんな表情はしない。
「…俺は、リュート=グレイだ」
「お茶をお入れしますわ。
 お養父様はリュートさんのお相手をなさって?」
ティアナは台所の方へ向かった。
ディルは、リュートを私的な応接室に通した。
「ティアナを見て驚いていたね?」
「蒼の髪を見たのは初めてでね」
「珍しいだろう?おかげで私は彼女に出会えた」
ディルはリュートの瞳を真っ直ぐに見た。
「――ティアは、私の本当の娘じゃないんだ…」
心なしか、ディルの瞳の奥が光ったような気がした。
「…養女」
「そうです。今から10年ほど前、ティアは一度に両親を亡くした。
 そして、孤児になった彼女を養女に迎えたんです。
 幸い、私には彼女を養える財力がありましたし、
 何より大切な人達から委ねられた子だったのでね…」
切なげにディルは瞳を伏せた。
その言葉に、リュートの心は激しく揺さぶられた。
(そんなはずはない!ティアのはず…っ!)
ドアがノックされ、開く。
「お茶をお持ちしましたわ」
ティアナは、ガラガラとカートを押して入ってくる。
カートには、ティーセット一式、
リング状のケーキ、取り皿などが乗せてある。
「紅茶はアッサムの葉を使っています。
 それから、ケーキはオレンジで、甘さは控えめなので――
 …苦手ですか?」
「……いや、いただこう…」
「このケーキは、お養父様に教えていただいたの。
 まだまだおとう養父様の味には近付けませんけど…」
 ティアナは全員分のお茶を入れ、ケーキを取り分けた。
「客人を迎えるのは久しぶりなんですよ。
 何分、緑くらいしか取り柄のないところです。
 旅の方もめったに立ち寄らない…」
「……」
 紅茶を飲み、しぶしぶケーキを食べる!
「…!」
「…いかがですか?お味の方は?」
「…美味い。甘さも、これなら気にならない」
 ティアナの顔がホッとしていた。
「…よかった。
 リュートさんは、甘い物がお好きでないようにお見受け致しましたので、
 無理に勧めてよろしかったのか、私、密かに心配でしたの…」
「本当に美味しいよ、ティア。また腕を上げたね…」
和やかに会話する二人の姿は、"親子"そのもので、
とても血が繋がっていない様には見えない。
リュートは、ティアナをしげしげと見た。
記憶の中の彼女――"ティアニス"の面影を探そうとするのに、
何故かティリスの顔が浮かび、何度も打ち消した。
(ティリスに出会ったときも、こうしてティアの面影を探したな…。
 よく似ていると、そう思ったからか?
 ティリスの顔ばかりが浮かんでくるのは…)
ティアナとティリスは似ていない。
まず、髪の色も微妙に違っている。
顔立ちも、ティリスが派手で華やかな顔とすれば、
ティアナは繊細、優美といったように重なる所がない。
表情や雰囲気も、ティリスは明るく元気な町娘といったものだが、
ティアナは優雅で上品な貴族の娘のものだった。
(幼い頃の記憶なだけに、取り違えた?
 …まさか!俺がティアを忘れるはずがない!)
ティアナは、その視線に気付くと恥ずかしそうに横を向いてしまった。
サラリと髪が揺れる。綺麗だった。
「どうかされましたか?」
「…いや、何も」
「…私、お部屋に戻りますわ。
 後片付けは、メイミに頼んでおきますので…」
ティアナは部屋から出ていった。
その後ろ姿が探していた影と重なる…。
(もし、彼女がティア本人なら…俺は…?)
「ティアは"箱入り"でね…。異性から見られることに慣れていないのですよ」
「だったら、俺のような奴を家に招いてよかったのか?」
「フフッ…貴方はそんな事しません。
 間違いを犯しそうな相手を招待するほど、私は愚かではありませんよ」
ディルは笑みを作るが、瞳は鋭かった。
油断すれば、切り裂かれてしまう。その眼光は、
心の静けさを映す鏡だった。

夕食が終わると、再び、ティアナは一目散に部屋へ戻っていった。
リュートは少しだけ自分の行動を反省した。
食事の間も気になってしまって、つい、ティアナの方を見つめてしまった。
ティアナは、恥ずかしさに頬を染めていた。
色が白いので傍目にもそれが判る。
切れ長の瞳は同じく蒼。瞬きをする度に睫毛の影が落ちた。
(彼女の顔立ちで、ティアに似ている所は何一つない
 …なのに、彼女がティアかもしれないと思うのは…何故だ?)

リュートは、屋敷の庭に出た。
庭は坪庭になっていて、ピンク色の薔薇が咲いていた。
薔薇の甘い香りが辺り一面に馨る。
(ティリスがこれを見たら…間違いなく、はしゃぎ回るだろうな。)
リュートはその光景が眼に浮かんだ。
(花、か…。ティリスは、花を見ているだけで心が癒されると言うが、
 俺には花を美しいと思える心の豊かさが無い。
 ただ、そこに存在しているだけ…)
ふいに、歌声が聞こえたような気がして、その方向に歩いて行く。
どこかで聴いた事のある旋律(メロディー)…
それは、いつも自分が草笛で演奏している子守唄だった。
(ティア…?)
月明かりの下、露台(バルコニー)で歌う少女の姿。
月を眺めているのか、こちらには気付いていないようだ。
その歌声は澄んで、リュートの心を惑わせた。
「――ティアニス…」
ティアナは、歌を歌い終わると、そっと月に祈る様に両手を組んだ。
「お父様…お母様…ティアナは今日も元気に過ごしています。
 明日も…ティアナの事を見守っていてください…」
ティアナは露台(バルコニー)から姿を消した。
リュートは、それでもその場を立ち去れなかった。

翌日、朝食の席でリュートはディルに引きとめられた。
「客人をもてなすのは、本当に久しぶりなのです。
 私共には、それはとても嬉しい事。
 ですから、もう少しの間、ここに滞在されては?
 大陸を船で渡ってきたのでしょう?
 ここは、長旅の疲れを癒すには、うってつけの場所ですよ?」
「……だが、それは…」
「構いませんわ。お養父様もこのように仰ってる事ですし…。
 遠慮は無用です。他人の好意は素直に受け取るべきですわ。
 それとも、何か旅の目的がありますの?
 それで、予定があるのでしたら仕方ありませんけど…」
ティアナは少し寂しそうな表情をした。
「…それでは、お言葉に甘えて、あと2日ほど滞在したいのだが…」
「勿論だ。村の方には、商店もいくつかある。
 旅の備えをするならそこに行くと良いよ」
「ありがとうございます」
ふいにティアナと目が合った。
ティアナは、嬉しそうに微笑んだ。
「私、村の方を案内致しますわ!」
「…ああ、頼む」
リュートの心に変化が生まれた。表情が少し和らいだ。

村の方に行くと、確かに商店があった。
宿屋が道具屋を兼ねていたりと、あまり商売が盛んではないらしい。
村人はティアナの姿を見ると皆が、恭しく礼をしたり、感謝の言葉を言ったりした。
「随分と慕われているみたいだな」
「ええ、嬉しい限りですわ。皆様、良い方たちばかりですの」
村人達から慕われているのは、
土地を無償で貸し与えているからだとティアナは言った。
屋敷から村へと続く広大な畑は全てアキレア家の土地なのだそうだ。
「リュートさんは、旅をしていて色々な土地を見てこられたのでしょう?」
「ああ。そうだが?」
「私、外の世界がどのようになっているのか知りたいのです。
 世間知らずだと笑われてしまう程、何も知らないのです…」
「…知らなくても良い事だって、世の中にはたくさんある。
 だから、無理して知る事は…」
怒ったり、がっかりするかと思ったら、ティアナはそうでなかった。
「…?」
「…そうですわね。貴方の言う通りかもしれません。
 ただ、少しだけワガママを言わせてくださるのでしたら…
 私、行きたい所がありますの」
背の高いリュートと話すと自然と上目遣いになってしまうのは仕方ない事だ。
じっと、そうやって見つめられると弱い。
リュートはため息をついた。
「……で、どこへ行かれるのですか?お嬢様」
「――っ?!あの、私…」
少し言いにくそうにしていたが、
それでも、ティアナは自分のワガママを口にした。
「西に森があるのだけれど、そこの中程の場所に泉があって…
 そこに行きたいのです」
それは、たわいもない願いだった。
「泉に行きたいという訳だな…わかった」
「お養父様は、森は危険だと言って連れて行って下さらないの…。
 でも泉の周りにはとても綺麗なお花が咲いているそうなの!」
ティアナは嬉しそうに笑顔をみせた。
ディルはその花を見せてくれなかった。
何故か、摘んできて欲しいと頼んでも、決して摘んできてはくれない。
だからこそ、見てみたかったのだ。
「言い付けを破ってまで見たい理由は何なんだ?」
ティアナは祈る様に手を前で組み、切なそうに言葉を紡ぐ。
「同じモノを見て、触れて、感じたい。
 そうする事で、今よりもっと近付ける気がするの。
 私は、血が繋がってなくても、そこに"絆"はあるって信じている。
 だから…」
「俺には"本物の親子"にしか見えなかった。
 それだけ"絆"が確かなんだろうな」
「ありがとう…」
ティアナは小さな声で呟いた。

森の中は、思ったより暗かった。
木漏れ日が差さないくらい、木がうっそうと茂っている分、随分と涼しかった。
「昼間なのに暗いのですね?」
「木が多いな…かなり規模の大きな森だな。
 このまま山に繋がっているのか?」
「そうだと思います」
森に入ってからだいぶ歩いた。
だが、泉らしいものは見当たらなかった。まだ、奥の方のようだ。
「まだみたいですね…」
「疲れたのか?」
「少し…でも、大丈夫ですわ」
そこでようやく気が付いた。
ティアナはリュートの歩く速度に合わせようと、
かなり速く歩いて(駆け足して?)いたようだった。
息が少し切れてきている。
(ティリスは全然平気そうについて来ていたが…
 普通の…それも、お嬢様育ちの彼女には俺の歩く速さは速すぎるのか…)
リュートは歩く速さを遅くした。
今度は、大丈夫なようだ。
「気が付かなくて悪かったな…」
「いいえ。そんなこと…ふふっ」
ティアナが笑ったのでリュートは不思議そうに彼女を見た。
「リュートさんって、お優しいのですね…」
「優しい?!俺が…?」
「ええ!私、優しい方は大好きですわ。よかった…」
 ティアナはリュートの目を真っ直ぐに見た。
「こうして出会えたのは、とても素敵な事ですわ。
 出会いは、一生の内で考えると、ほんの一瞬の出来事…
 その瞬間の一つ一つを私は大切にしたい。
 だから、リュートさんが良い方で本当によかった!」
「…………」
リュートは、その目をわずかに細めた。
口角が少しだけ上がる。自然と"笑み"の形を作った。
ティアナは、もう先に進んでいて、その後ろ姿を見つめた。

――その時だった!

「――危ない!!」
「きゃぁぁぁっ!」
ティアナの目の前を黒い大きな影が横切った。
飛び出すのが遅れた所為もあって、ティアナはその場に倒された。
幸い、その魔物の牙は当たっていないようで、大きな怪我は無い様に見えた。
リュートは、剣を抜き、ティアナと魔物の間に割り込む様にしてティアナを庇った。
「逃げろ!この場から離れるんだ!」
「は…はいっ!」
ティアナは、走り出した…が、少しするとその場に崩れる様に倒れた。
リュートは、目の前の敵を倒す事に今は意識を集中させた。
「はぁっ!」
勝負は一瞬で決まった!
一気に間合いを詰めると、相手の喉元を狙い剣を放つ。
――ザシュッ!
鈍い音がして、血しぶきが飛ぶ。
返す刃で心の臓と思しき部分に剣を突き立てた。
黒い魔物はそのまま動かなくなった。
「――こんな人里近くに魔物が出てくるとは、な…」
「…お強いのですね、リュートさんは」
振りかえるとティアナが座り込んでいた。少し震えている。
リュートは、ばつの悪い表情をした。
(怖がらせてしまっただろうか?)
「魔物を退治するのが職業でね…。
 その、驚かせたみたいだな…すまなかった」
「どうして?私を守ってくださったのでしょう?
 どうして謝られるのですか?」
「怖がらせてしまったかと…」
ティアナはハッとして、
「そんな事…いえ、強がるのはやめましょう。
 確かに、少し怖い思いをしましたけれど…もう大丈夫ですわ。
 魔物は恐ろしいと思います。
 でも、その魔物から私を助けてくださった方に…
 どうして恐れる事がありましょう?
 むしろ、感謝するべき事…。
 ありがとうございます」
と言うと、深く頭を下げた。
「…いや、礼を言われる程の事はしていない。俺は自分の命を守っただけだ」
「でも"危ない"と声を掛けて下さいました」
リュートはティアナに近付くと、手を取って立たせてやる。しかし、
「…痛っ!」
急にその手に重みがかかる。
ティアナが崩れそうになるのをもう一方の腕で支えてやる。
「大丈夫か?」
「…申し訳ありません。少し、足を痛めてしまったようです…」
一度、その場に座らせて、足を見る。
すると、左の足首の部分が赤く腫れていた。
「足を捻ってしまったみたいですね…」
「これ以上、先に進むのはやめた方がいいな。
 この足…それに、魔物が出ると判った以上、
 この森に長居するのは危険だ」
「…はい」
落ち込むティアナの肩に腕を回し、そのまま抱き上げた。
「――!あ、あのっ…大丈夫ですからっ!」
「早く手当てした方が良い…走ってこの森を抜ける、しっかりつかまっていろ!」
「――きゃっ!」
リュートはティアナを抱き上げたまま走り出した。
ティアナは言われるままに、その首に腕を回し、しがみついた。
どんどん風景が通りすぎ、木漏れ日が差し込み始めた。
一瞬、ティアナはリュートの横顔を見ると、また、顔を伏せて、
ぎゅっとリュートにしがみついた。
森の入り口まで来ると、速度を落とし、歩き出した。
「ごめんなさい…重いでしょう?」
「いや、そんな事は無い…」
リュートは平然としている。小柄で、尚且つ華奢なティアナを抱える事など、
リュートにしたら造作も無い事だった。
(ティリスより軽いしな…)
そういえば、旅をしている間、何度もティリスを抱きかかえるような場面がよくあった。
その時と比較して、ティアナの軽さに驚く。
「そういえば…昨夜、歌を歌っているのを偶然、聴いてしまったんだが…」
「えっ?!…お恥ずかしいですわ、その様なものを聴かれてしまったなんて…」
「あの歌は…?」
「子守唄なんですの…クレツェントに伝わる――
 あ、クレツェントというのは私の故郷にあたる…
 もう、無くなってしまったのですが…」
ギクリとする。
「記憶を無くした――私、幼い頃の記憶があまり無くて…
 でも、唯一覚えていたのが、この子守唄だったのです。
 だから、きっと亡くなった両親が、歌って聴かせてくれたんだろうって…
 そう思って毎日、夜になるとこの歌を捧げて祈るんです、天国の両親に…」
「幼い頃の記憶が無いのか?」
「ええ…今の、養父に出会った時、戦争か何かでたくさんの人が亡くなったそうで…。
 幼い私は、一人でいる所をちち養父の弟さんに発見されて…
 それで、助かったらしいんです。
 ただ、ショックで自分の名前も、年も解らないようになってしまっていたみたいで…」
リュートの心は揺れた。
こんなに"ティアニス彼女"を思わせる要因があって良いのか?
「ティアナという名前は、養父がつけて下さったの…
 本当は、ティアニスとつけるつもりだったらしいんですけど…」
目の前が暗くなった。
リュートは、固まってしまう。
「リュートさん?」
「――いや、何でもない…」
リュートは戸惑いを感じながらも、ティアナを無事、屋敷まで送り届けた。
何故か、ここに居てはいけないような気がして、旅立つ心づもりをしていた。

ディルには森に入った事は告げず、ティアナの怪我は、道で躓いた事になった。
「本当にティアはそそっかしいね…。わざわざすまなかったね、リュートくん」
「いや。それで…昨夜は2日滞在したいと言ったんだが、
 やはり、明日にはここを発とうと思う…」
「そうかい?いくらでも居てくれて構わないのに…」
「そういう訳にはいかない」
「そう…残念だよ」
ディルは、そう言って納得したが、ティアナは納得しなかった。
「もう少し…もう少しだけここに居て?せめて、私の怪我が治るまで…」
「ティア…君の足の腫れは4〜5日はとれない代物だ。無理を言っては…」
ティアナの瞳が潤む。
「せっかく…仲良くなれたと思いましたのに…」
「すまない…」
「私…ワガママだという事は解っています。でも…」
諦めようとしているのか、ティアナが俯く。
リュートも胸が痛んだ。
「私からも、お願いします。
 せめて、予定通り明後日まで…居てはくれないだろうか?」
領主に頭まで下げさせて、断ることができるはずがなかった。
「分かった…。予定通り明後日の朝、発つ事にする…」
「ありがとう…」
ディルが再び、頭を下げた。ティアナも嬉しそうだった。
「部屋に戻ります…」
リュートはあてがわれた客室に戻った。

朝を迎え、リュートは光を感じて目を覚ました。
昨夜はあまり良く眠れなかった。
眠りが浅いのはいつもの事だが、ほとんど眠っていないに等しかった。
「ティア…」

朝食の席にティアナの姿はなかった。
「今朝は自分の部屋で朝食を取るように言ったのです。
 昨夜、問いただした所、森に行こうとした事を白状しました。
 言い付けを破った罰で、部屋から出ないように…と、思ったのですが、
 それではティアが可哀想だし。
 せっかく貴方を引きとめたのですから、あの子も話がしたいでしょうし…
 朝食の間の謹慎にしたのです」
「一緒に居ながら怪我をさせてしまった…すまない」
「話は聞いています。ティアを魔物から守ってくださったのでしょう?
 お礼を言うのはこちらの方だ…ありがとう」
ディルは心から感謝の言葉を述べた。
「おい…訊いてもいいか?」
「ええ。何か?」
「ティアナは…幼い頃の記憶がないと言っていたんだが…本当か?」
ディルは少し顔を上げて、
「本当です」
と、断言した。
「あの子は…私の弟が探し当ててくれた、たった一つの奇跡、希望だった。
 十年前、私は、この国で生まれながら、
 "クレツェントの最後の王"となった主を喪い、絶望していた。
 彼は…私の全てだった。全てを賭けて護るべき者だった。
 だが、魔族によってそれは打ち砕かれた。殺されたのです。
 しかし、彼の娘は行方知れずになっていて、生死の確認ができなかった。
 私は彼女に希望の光を見出した…生きている事を願った。
 そして、ティアナに出会えた…」
「じゃあ…」
「ティアナを与えてくれた神に感謝したよ。
 ティアナを護る事が、私の新たな存在意義となった。
 彼女は何も知らない。知らなくて良い。
 私の娘として生きるなら、記憶を失っているのは好都合でした。
 弟は反対しましたが、私は彼女がいなければ、とても生きていられそうになかった…」
ディルの瞳は氷のように冷たく、澄んだ色をしていた。
その瞳に射ぬかれ、リュートはゾッとした。
「狂っていた…そうかもしれないと、今でも思う事はあります。
 けれど…この選択を悔やむ事も無ければ、迷いはありません」
食事も忘れ、重い話が続いた事に気がついた。
「せっかくのスープが冷めてしまいましたね?さぁ、急いで食事をしましょう」
これ以上の核心に迫るのは無理な話だった。
ディルは、心に再び鍵をかけた。
 
朝食が終わり、リュートは、昨日案内してもらった村の道具屋で旅の仕度を調える事にした。
その旨を話してから出かける。
窓からこちらを覗いているティアナの姿が見えた。
不安そうな表情をしている。
このまま旅立ってしまうのかどうか、心配しているように思われる。
実際、そうしても良かったのだ。
しかし、ティアナが望むようにしてやりたいと思ったのも事実だ。
悲しい表情は見たくない。
サヨナラも言わずに別れるのは、もうしたくなかった。
(ティアナがティアニスであったとしても、そうでなくとも…
 幸せであって欲しいと願うのは同じ気持ちだ。
 俺と関わる事でそれを変えてしまわないうちに、離れた方が良い…)
明日はすぐに旅立とうと、心の中で誓う。

ここに留まる訳にはいかないから。

ディルは書斎にいた。
書斎にある大きな机の引出しを開ける。
そこは、普段なら鍵を掛けられ、閉ざされている。
「アーウィング様…」
ディルはその引出しの中から、古い日記帳を手に取った。
日記には、おおらかな字体で文章が書かれている。
半分を超えた所で、それは途切れている…。
「私は、どうすれば良いのでしょう?教えてください…我が君…」
祈るように、胸の前で日記を抱える。眉間の皺がより一層、深く刻まれる。

――そこにあるのは、永久の誓いか一瞬の狂気か?

『ディル…』
心の中で声が響く。自分を呼んでいる声。
何より大切だった、誰よりも近くでその成長を見てきた。
それを奪われたときの深い悲しみと、激しい怒り、
そして強い憎しみの感情が蘇る。
ディルの顔から表情が失われた。
ただ、瞳だけが冷たく輝いていた。

ティアナの足は包帯で固定されていた。
足の痛みは薬草によって緩和された。
松葉杖を使えば十分移動できる。
だからといって、遠出などできる訳も無く、部屋でリュートの帰りを待っていた。
「初めてかしら?誰かを待つ事は…」
ティアナに友達と呼べる存在は居なかった。
領主の娘という事もあって、村の同世代の子達は皆、ティアナを遠巻きにした。
尊敬と羨望の眼差しを受けても、心の虚しさは埋められない。
だけど、リュートは違った。
ティアナに対して、そういう距離の置き方をしなかった。
あれほど、不躾に見つめられても、その眼差しが温かいものだったというだけで、
全て許せてしまうような気がする。
「お友達に…なれますわよね…?」
自分自身に問いかけてみる。まるで、言い聞かせるみたいに…。
(すぐにお別れしないといけない事が、分かっているのですから…)
傍に居て欲しいなんて、言えるはずも無く、
そういう気持ちに気がつかないふりをした。
屋敷を出た時と同じく、窓越しにティアナが迎えてくれた。
リュートは、その足でティアナの部屋を訪ねた。
「…入るぞ」
扉を開けると、部屋にはラヴェンダーの香りがほのかに感じられる。
ポプリの小瓶が棚にいくつも並べられている。
ベッドには白いレースのカーテンがかかっていて、調度品は殆どが白のもので揃えられていたが、
窓のカーテンや壁などは薄いピンクだった。
瑠璃色の花瓶には、庭で咲いていただろう薔薇が飾られていた。
「お帰りなさいませ。必要なものは手に入れられましたか?」
「あぁ、すぐにでも旅立てる準備は出来た」
「はい。わかっています。これ以上ここに留まるつもりが無い事は…。でも…」
ティアナはじっとリュートの顔を見る。
「今日一日はここに居てくださる…それで十分です」
にっこりと笑う。
リュートは椅子を手にとって背もたれを前に、反対に座った。
「今日はどうしたい?」
「えっ?」
優しく声をかけられて戸惑うティアナ。声音が甘い。
「ティアナの好きにさせてやる…どこだって付き合ってやるし、
 何かして欲しい事とかは無いのか?」
「外に行きたい…」
「森はダメだ」
きっぱり否定する。
それをティアナは笑う。
「うふふ…リュートさん、お養父様みたいよ。
 眉間に皺。心配性ね?」
「――っ!」
「違いますわ。ただ、外に行きたいだけですの。
 外は、こんなに良い天気なのに、部屋で居るのは勿体無いような気が致しませんか?」
冬も間近に迫った秋の終わり、昼の間、外は暖かい。
「メイミに何か作っていただきますわ。
 外で食事をしませんこと?私、憧れてましたの!」
「あまり遠くへは行けないんじゃないか?」
「すぐそこで良いのです。そう…良い場所があるのです」

ティアナは松葉杖をついて自分で歩くと言ったが、
リュートが「こちらの方が早い」と言って抱き上げてしまった。
仕方なくティアナは侍女のメイミからバスケットを受け取る。
「ここで良いのか?」
「ええ」
ゆっくりとティアナを下ろす。
「見晴らしが良い場所でしょう?」
そこは屋敷の裏手にあたる。
屋敷自体が丘陵地にある為、自然と見晴らしは良くなるのだが、
その頂上にあたる場所なだけに格別であった。
「遠くに海が見える…」
「ええ、晴れの日は良く見えるのです」
その海と同じ蒼の髪をした少女は微笑む。
「私…お友達と呼べる人を知りません…。
 ですから、ずっと憧れていたのです!
 リュートさんの事、"お友達"と呼んでもよろしいですか?」
「友達…?!」
「はい!」
真剣なティアナの表情に不思議な感情が湧いてくる。
そう、恋とも愛とも違う…けれど、温かい感情。
(友情?違う…この感情、昔にも感じた事がある。
 大切な、そう、同じなんだ)
「あぁ…。お前がそれを願うなら…」
優しい表情で微笑む。

――どれくらいの時が過ぎたのか…?
ティアナは、知らない間に眠ってしまっていた。
色々な事をリュートと話したような気がする。
だけど、今の状態は…。
(私…!いつの間に眠ってしまったのかしら?それに…)
ちらりと横を覗くとリュートの顔が間近で見える。
顔が紅くなるのが分かった。
ゆっくりと身体を起こそうとしたら、髪に指先が絡む。
ティアナは不意に思い出す。
優しく髪を撫でる感触…風の所為かと思っていたが、それは違った。
(どうして…?胸が締めつけられる…この感情は、何?)
リュートの顔をじっと見つめる。
(貴方に触れれば…この気持ちの答えが見えるのでしょうか?ねぇ…?)
そっと、近付く。
吐息がかかる程の距離で、一瞬、躊躇する…。
(私は、貴方の事…――)
ゆっくりと瞳を閉じる。
そして――。

「――ティリス…」

耳に響いた声、告げられた名前は自分のものではなかった…。
「えっ…?」
唇が、触れる…。
(――イヤ…!)
口付けは、ほんのわずかな間だった。
ただ、唇が離された後、抱きしめられた。
(どうして…こんなに優しく抱きしめるのですか…?)
ティアナの瞳から涙が零れ落ちた。
抱きしめる腕は、ただ優しく、守るように包み込んでくる。
切なさが伝わるようで、ティアナは瞳を閉じた。

ようやく目を覚ましたリュートは、その状態にうろたえる事になる。
(――俺は…?!)
明らかに、自分がティアナを抱きしめている事に驚いた。
肩を抱くようにして眠らせた覚えは…ある。
その後、髪を撫でてやった事も…。
ただ、抱きしめているこの状況が理解できない。
「…すまない」
腕を解いてやる。
ティアナはゆっくりと離れると、にっこりと微笑んだ。
「その…」
瞳に残る涙の跡…。
「少し、悲しい夢を見ました。でも、もう大丈夫ですわ…」
リュートは、ホッと胸を撫で下ろした。
自分の所為で泣いてるのではないかと思った。
「もう日も落ちる…」
「綺麗な夕焼け…この空はどこまでも続いている。
 たとえ、遠く離れていても、同じ空を見上げて"美しい"と感じる事は出来る…
 そんな時、心が繋がっていると…絆が見えるような気がしませんか?」
少し寂しげで、優しい笑み。
「…そうだな」
こんなに小さく儚げな少女に励まされるなんて…と、リュートは嘲笑う。
「そろそろ帰りましょう…」

夕食の席に、ディルの姿はなかった。
「きっとお仕事がたまっていたのね…
 お養父様が仕事をためるなんて珍しいこと…」
ティアナは不思議そうにしていたが、
リュートには、それが一体何を意味しているのか分かったような気がした。
「今日は、ありがとう…。私のワガママにつき合わせてしまって…」
「そんな事…俺の方こそ、お前に…」
「構いませんわ…。何となく、分かっていましたから…。
 どなたと重ねて見ているのかは知りませんが…
 会えると良いですね?その方に…」
ティアナの笑顔は悲しかった。
無理をして笑っているのだと気がついた。
誰だって、自分を見ないで、その影を見ていたと判れば傷つくし、悲しい。
まして、それを何度もされてしまったら、自分の存在を疑ってしまうだろう…。
「ああ、そんな日が来れば良いんだがな…」
 
真夜中、月は高く、優しい闇が辺りを包む。
ディルは書斎を出て、自室からあるモノを持ち出した。
それは、思っていたより手に馴染んだ。
そっと廊下を歩き、それを部屋の外において、娘であるティアナの部屋に入った。
ラヴェンダーの香り、これは自分が好きな香り。
窓辺に飾られた薔薇は自分の育てたものだった。
そっと、ベッドの方に近付く。昔もよく、こうして寝顔を見に来たものだった。
引き取った最初の頃、悪い夢を見てうなされる彼女が心配で、
朝まで傍らにいた事。
頭を撫でてやると安らかな表情で眠る事。
指先に触れるとギュッと握り返してくる、その手の小ささ…。
全てが、懐かしい思い出…。
「ティアナ…」
カーテンをそっと開き、その寝顔を見る。
安らかな寝息。
子供の頃と同じだった。
(随分、大人になった…。髪も、背も伸びた…)
そっと頬に触れてみる。
(これが、私の娘か…。こんなにも綺麗に、よくぞ育ってくれた。
 ティアナ、君は私の育てた花の中でもっとも可憐で愛しい花だったよ…)
ゆっくりと、その手を離す。
(今から私は騎士に戻る…さようなら、我が娘…)
ディルは静かに部屋を出た。
そして、部屋の外に置いておいた剣を手に、歩き出した。
その瞳からは、さっきまでの慈愛や優しさは消え失せていた。
そこにあるのは、憎しみ。
心の中は炎のように燃え、
それと反する氷のように冷たい表情を月明かりが照らし出す。
向かった先は――。

そこは、離れの一室。
母屋からは幾分、離れた場所にある。
声は届かないはずだ。
(私を許してください、アーウィング様…)
ディルは扉を開けた。鍵は元から付けていない。
そっと中に入る。中はさすがに暗い。
だが、この部屋の事を知らないはずは無い。
暗闇でも、ディルには部屋の配置からどこに彼が眠っているのかは判っていた。
迷う事無くベッドに辿り着く。
(リュート…グレイ…)
ゆっくりと剣を鞘から抜き、鞘は飾り帯に挿し込んだ。
抜き身の剣の刀身は、よく磨かれた見事なものであった。
本来、利き腕である左で持つこの剣を、両の手で握る。
「リュート=グレイ、覚悟!」
――ザスッ!!
剣は、深く刺さった…。
「何故…何故、避けなかった?」
剣を抜く。
「お前こそ…何故、殺さない?」
「殺そうとしたさ…本気でね…」
――カシャーン!
ディルは剣をその場に落とした。
「何故、お前は泣いている?」
「私が?…ははっ、そんな事…」
ディルは確かに泣いていた。
涙なんて、あの瞬間に涸れてしまったと思っていた。
「アーウィング様…」
ディルはガクッと膝をついた。
「…できなかった。
 君が、アーウィング様を殺した魔族だという事が判っていても…。
 最後の瞬間に、声が聞こえた気がしたんだ…」
「…………」
「解っていた…アーウィング様がこんな事を望まない事くらい。
 君を、最後まで助けようとしたあの方が、君の命を欲しがるはずが無い…。
 ただ、その場にいなかった私には…何もできなかった私には、
 君を憎む事しか残されていなかった。
 君に復讐を誓う事で、それを生きる為の糧にしたんだ…」
それは懺悔であった。
リュートはディルを見ていた。
「俺を殺して楽になるなら、そうすればいい…」
リュートはディルに剣を渡す。
「いや…もう、いいんだ。
 そんな事をしても、あの方が帰ってくる筈も無い…」
「だが、俺はティアニスから幸せを奪ってしまった!」
「王女は、きっと生きておられます。ティアナは王女ではない。
 私の作り上げた王女の複製だ。
 そう、生きてこそ罪は償う事ができる…。
 君は、生きて王女に償うべきだ」
「…生きて?」
ディルは、優しく微笑った。
「そう。君は生きて王女に償い、私は生きて…」
「ティアナに償う?」
「そうだ。あの子には償わなければならない。
 私は、あの子を王女の身代わりとして引き取り、そのように育てた。
 あの子、本来の資質を無視してでも…。
 あの子は可哀想に、私の希望に添うようにたくさんの事を諦めた。
 私の望む姿になろうとすればするほど、あの子自身ではなくなっていく事を、
 あの子はきっと知っている。
 それでいて、そうなろうと努力したんだ…。
 私は酷い男だ…」
ディルは祈るように手を組み、額をそこにつけるようにして俯いた。
「ティアナはお前を慕っている。お前も彼女を愛しているんだろう?」
「…………」
「俺には、お前たちが互いに大切に思い合っている様に見えた。
 それだけで良いじゃないか?
 キッカケはどうあれ、ティアナを育てたのはお前だろう?」
その時、扉がゆっくりと開いた。
「ティアナ!」
ティアナの瞳からはとめどなく涙が溢れ、流れを作る。
「私、誰かの代わりだという事は知っていましたわ…。
 それでもいいと思っていました。
 お養父様がいてくれるだけで、私は幸せになれるんですもの…。
 この十年…寂しくなんてなかった。
 お養父様の優しさに満たされて…」
「ティアナ…許してくれ。私は、お前に酷い事をした…
 それでも、私はお前を失いたくないんだ。
 私を、許してくれ…」
ディルは胸を押さえながら苦しげに言葉を吐き出した。
「お養父様…!」
ティアナは痛むはずの足でディルの元に駆け寄った。
「許すも何も…私がお養父様を憎めるとでも…?」
「私を、許してくれるのか…?」
「私にとって、たとえ血が繋がっていなくても、
 父と呼べるのは貴方だけです…
 私は、王女にはなれませんでしたけど、
 貴方の娘にはなれますでしょう?」
ティアナはディルを抱きしめた。
「ティア…ティアナ!」
ディルもティアナを抱きしめる。
もう、二人の間に隔たりは無かった。

次の日の朝、朝食の席についたティアナを見て、リュートは驚いた。
「ティアナ…?!」
「あ、おかしいでしょうか?
 昨日、あの後…部屋に戻ってから切ったのですけど…」
「いや、おかしく無い…よく似合っている」
ティアナは腰まであった長い髪をバッサリ切ってしまっていた。
「生まれ変わるんです、今日から…私に!」
ニッコリ笑ったその笑顔が眩しくて、リュートは目を細める。
きっと、彼女はこれから幸せになれるだろう。
彼女は何よりも欲しがっていた"絆"を手に入れたから…。

〜おまけ〜


リュートは、ティアナとディルの"親子"に別れを告げて、
ペラルゴの地を後にした。
「旅立つ前に、一仕事残っていたな…」
足を西の森に向ける。
あの森にいる魔物は、あの時の黒い魔物だけではないだろう…。
リュートは森に入っていった。やはり空気が冷たい。
森の中ほどに来た時、魔物の気配を感じた。
かなり多いが、その分、一気に片付けられる!

――ギィィィッ!

魔物たちの断末魔の声があたりに響く。
(これでこの森にいたのは全ていなくなったな…)
リュートは頬についた返り血をマントで拭うと、
そのままどんどん奥の方へと進んでいく。
少し行くと、そこには言われた通り、泉があった。
泉の周りには、花が咲いていた。
ユリに似た形状のその花は、ピンクの花びらの先端がほんのり青に染まった、
不思議に美しい花だった。
「これが、その花か…」
花に手を伸ばそうとしたその時――。
「その花は摘まない方が良いぜ!」
何気なく摘もうとしたのを制止される。
制止したのは15〜16歳くらいの少年。
「何故だ?」
「その花は"リコリス"っていってな、
 人にプレゼントするのは大間違いの代物だぜ?」
そういうと、少年は一つ摘み取ると、泉に向かって投げ入れた。
「リコリスの花言葉は"悲しい想い出"…
 人にそれを送るのはお悔やみの時か、イヤミで送るか…
 どんな理由にしても、カトレアの花で気持ちを伝える風習を考えると、
 やめといた方が良いよ?」
ニッと歯を見せて笑う。
「そうか…それで…」
理由が解った。
いくらティアナが頼んでも見せてやらなかった理由…。
リュートは微笑んだ。
「…?何だよ?」
怪訝そうな表情の少年の頭をポンポンと叩くと、
「いや、教えてくれてありがとうな…」
そのまま振りかえる事無く歩いて行ってしまった。

領主の屋敷に新たな客人がやってきた。
「俺、ヒース=ランタナ=クランといいます!
 父は、レウリィス=クラン。この国の将軍をやっています。
 しばらく滞在したいのですが…」
ディルはその少年をじっくりと見た。
「滞在の理由は?」
「本当は、西の森の魔物退治をするつもりだったんですが、
 先にやられてしまって…次の目的地を探すのと、旅の準備を調えたいので…」
「西の森を抜けてきたのか?」
「ええ。途中で金色の髪で隻眼の、戦士風の兄ちゃんに会ったから…
 その人が退治したのかな?魔物は一匹もいなかったよ!」
少年は元気良く答える。
「彼がやってくれたんだな…」
ディルは目を細める。
「よろしい。滞在を許可しよう…
 ただし、母屋には食事の時以外は入らないでくれないか?」
「はい、構いませんけど…」
少年が不思議そうな表情をしたのでディルは笑ってこう答えた。
「なに、"娘"と水入らずで過ごしたいだけの事ですよ…」

 君の蒼は悲しみの蒼。
 重なる影が君の姿を消してしまうから…。
 花のように儚い君は、ただ無力に流されてしまう。
 だけど真実は君に咲くだろう。
 涙の雫が綺麗に零れ落ち、
 優しさで君を包めば、
 君は翼を取り戻し、自由になれる。
 そして、その全てから解放されたなら、
 それは、君が君になる時だという事――。

 
 さぁ、悲しみから解き放たれよう!
 君は君に生まれ変わる、幸せになる為に…



 悲しみに似た彼女の蒼は、散る花のように無くなってしまった。
 それは、彼女を縛り付けていた鎖。
 それら全てを捨てた彼女に悲しみの色はない。

 いつか見た海の蒼のように、優しく色付く事だろう…。


これは親世代のパロディでお馴染のディルが登場してます。
この話のテーマは「過去からの脱却」です。
リュート、ディル、ティアナと三人三様の「悲しみと過去」、そこから脱け出し「自由」に。
ティアナの名前はティアニスからもじってます。でも、どこかの言葉で「夜明け」という意味の言葉らしい。
偶然にしてはバッチリ過ぎですよね!

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